昨日の追記

昨日かいたエントリーのエクソフォニーに「翻訳」のことも書いてある。
そこには元の言語から他の言語、古典から現代文への翻訳が記されていたけれど
お互い同じ言語を使って会話する場合でも無意識にボク達は翻訳をしている気がする。

「ボクがこんな事を伝えたいからこの言葉を使ったんだ」

なんてもちろん誰かとの会話の最中には言わないだろう。
ある程度暗黙というか何というか、分かるだろうという事を前提に話を進めている。


一つの言葉には様々な意味があり
その中から正しいと思える意味を当てはめるだけでも
「翻訳」しているってボクは思う。
そうじゃなかったら
言い間違えや思いこみなんて生まれない。

「草原」を想像した時、そこに風が吹いているのか?吹いていないのか?
人それぞれ違う想像をするように
ボク達は自分だけの言葉を扱っている。


だからボクは自分以外が書く文章に惹かれるんだ
好きな人が書く文章を。。