表現は立ち止まらない

誰かの表現に触れる時
我々はその外周の一端にしか触れるコトしか出来ない。
少しでもその位置から内部に入るために自分が持つ経験と想像力を使うしかない。
でもそれではあまりにも不完全なモノになってしまうコトを危ぶみ
作品のコアに近づけないのではないかって心配になってしまう。

だからこそ少しでも近づくためにその表現者のコトバを耳下に欲する。



表現は変わり続ける。



ボクはドキュメンタリーのようなモノ
完成型より過程にこそ表現の本質が隠れているように思えるんだなぁ。。