『あの子』と呼ぶのはなんだか失礼な気がするし
他の名前を一時的に付けるという行為もなんだか嫌。

・・・なら書くなと言われそうなので
畳むんだなもし。


旅行でも、旅でもなく遠く離れた場所に行くと言うことは
ぐっと言葉を飲み込んで目的地に向かうことが多い気がする。

年に一回で9回

誰かがダレかのコトを考える時間は
出会ってからの普遍的な時間とは違い
コトバを交わすことでその流れの早さを変えてしまうように思える
夏の陽射しアスファルトの照り返しの奥に見える青い空が
大きな水たまりのようにみえるように。


・・・

対面した後の
焦燥感と交互に訪れる安らぎは何なのだろうか?
でも来るたびに焦燥感は薄れてきていて
ぼーっとする時間が増えてきているのは
別に忘れている過程の当たり前の出来事なのかもしれないけれど
それは悪いことではないと思うし
忘れていくことも悪いことではないよって18歳のままのあの子、優依が言っている気がする。


でも忘れたくない
それがもう何年もボクが儲けているモノです。。