19th/Jan,/2009
実際におこなった選択
物語なんてもう書けない・・・
そう感じ始めている。
冷たい風が止み、微動だにしない空気を太陽が熱している。
冬にしてはあたたかい今、僕は友達に長い長い物語のような手紙を
濃い鉛筆で書き続けていた。
まるでキャンパスに絵を描くように
白い紙がどんどん汚れていく。
ただ文字が大きいだけなのかも知れないけれど
この汚く黒光りする大きな文字が
書のように文字一字一字が一つの物語のように思えた。
便箋に見苦しく並べられた汚い文字は
小さい頃なら親に
「○○、汚いから書き直しなさい」
なんて言われてしまうけれど
これはこれでいいんじゃないか?
なんて思う。
それとも、もう注意してくれる人がいないからなのか?
汚い字もすでに僕の中でしっかりと自我を持っているかのごとく
この見慣れた汚い字は生き物のようにうねうねと動いて見えた。
「今まで書いたモノにも違う物語が書かれていたのでは?」
この物語の他に
文字自体にも物語がこっそりと進行していたかもしれないこの出来事を
僕は30を前にしてようやく気づくことが出来た。
いつのまにか
ぬるくなった紅茶は11月の日だまりのような暖かさになっていて
茶葉が踊っていたときのニオイがすっかりと消え、透き通った紅赤色が錆のように色褪せて見せた。
・・・・
まだ結末にはほど遠い
僕は未完のまま切手を貼って送り出すのも悪くないな・・・なんて思ったりした。
物語を書くことと文字を書くことは微妙に違う事なのかもしれない。
書かれている物語は読む人の為に書かれたモノで
書かれている文字は僕だけのために書かれたモノのような気がする。
僕は鉛筆を置いて
封筒に手を伸ばした。。