カタチハカワル パズルノヨウニ

rainy_bird2008-02-18

少し昔のことを書きたくなった


ボクがまだ10代のとき、イギリスのとある小さな町に住んでいた。
その町は海からやってくる強い風とは違い、町の雰囲気は風のない殺伐としている町で
海岸には常に波の花が咲き乱れ、大地の隆起が見せる白い石灰層がビルのように崖を作り上げていた。

ボクはその町がとっても好きだった。
マウンテンバイクで街中を走り回り
小さな漁港の桟橋で釣れる気配すらない釣り糸を何度もたらし
50ペンスで買えた小さなチェリーコークを飲みつづけ
学校帰りにはマリオにそっくりなおじさんがやっていたフィッシュアンドチップスを食べ
たまには隣町にあるゲームセンターに行ったり
月に何度かはカンタベリーにバスでリターンチケットを買い、ぶらぶらと遊び
やさしいカゾクの中、夕食の後は熱いミルクティーとクッキーをいただきながらサッカーを見ていた。
ボクを置いてくれたカゾクの父はトラックの運転手で、あまり顔を合わせる機会が無かったけど帰ってきているときは必ず夕食をいっしょに作っていた。
もちろん彼は料理なんて出来ないから、作るメニューは必ずと言っていいほど目玉焼きとカリカリベーコン
朝と同じメニューなのに本当においしくて、食事中の会話や笑顔は冬でも凍らない滝のように凍らずに流れつづけた。
サッカー中継がない夜はおじいさんとカードゲーム。勝ち越すことは出来なかったのは彼が幸運のコインを持っていたからだって知りながら昔の話をしながら負けつづけた。
ボクはこの町でこのカゾクの一部、街の一員になれた気がしていた。


その後ボクは対岸の国のフランスの同じく港町に住むカゾクのおばの元に移り住む。
それまでの町とは違い、暖かい陽射しがレンガや石畳に当って町全体が黄色く光り輝いて見えるような町だった。
メインストリートは港から小高い山へと向かう上り坂になっていて、その上から港を眺めて見るのが本当に美しかった。
小さな本屋で日本の漫画を見るのがなんとなくうれしくて何度も通ったり
家の近くにあった雑貨屋でアルバイトのようなこともしていた。
おばとはたくさんの話をして、たくさんのおまじないをもらい、何度も何度も頭をなでられた。
それまでそんなことやられるのが嫌いだったけど、ココロのどこかでそうしてもらいたかったんだな・・・と受け入れることも出来た。
みんなやさしかった。
ダメなことはダメだと教えてくれたり、塀の上に座って本を読んでいたりしたら、ダレカが話し掛けてきたりした。
急な坂道をスキップで難なく歩き回れるような感覚でその道を歩くことが出来た。

みんなボクを受け入れてくれてた気がする。町中でダレカに手を振って挨拶すれば知らない人でも笑顔で挨拶してくれた。
年配の夫婦も、同年代の女の子も笑顔をくれた・・・ボクはここでも町の一部になったんだなと思ったりしていた。
あの町には愛のようなモノがあふれていた気がする。


ぼろぼろだった自分が見えない糸でゆっくりと縫い合わされて修復されているような静かで緩やかな日々だった
あのとき、ボクの世界は平和だった。


昔話はあまり好きじゃないけど、これらの思い出はボクの中での『楽園』だった気がする。
あの人が現れるまで、ボクの中の楽園だった。
あの人がいなくなってからはあの人のコトバが楽園になった。
そして今は
以前楽園だった二つの街の中にあの人がいて、あの人のコトバが街中に点在している。
本当の意味で『楽園』になってしまった。



二度とたどり着けない『楽園』だけが美しくなりすぎている。
目を閉じるとその楽園と宇宙より広く、暗くて深い深い暗闇が見える。。